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「育成のカープ」ならではのお祭り騒ぎ

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情報源: バティスタ凄っ!代打でデビュー2連発 セ助っ人初!カープに強力新戦力/デイリースポーツ online

ここのところ飲みが続いてねぇ 飲む前は量をセーブして試合をチェックして記事を書こうと思ってるんだけどな、試合をチェックし終わったあたりから睡魔が襲ってきてそのまま就寝。歳のせいかねぇ?睡魔が襲ってくるともう太刀打ちできなくなってきた。情けねぇよな。

今じゃ球場に行けばファンがレプリカユニを着ている姿は応援スタイルの定番だよな。トランペット応援やジェット風船なんてのもカープ発祥とされているけど、ファンがユニ着て応援するスタイルもアタクシはカープが発祥じゃねぇかと思ってる。

いや、昔からどこの球団にもユニを着て応援している人はいた。でもカープファンは違うんだよな。レプリカユニ姿が神宮やハマスタでよく見かけるようになったのはどうだろうか?アタクシの記憶が確かなら、15、6年前くらいからなんじゃねぇかなぁと。まぁその前は独立したばかりで野球場なんか行けなかったからもう少し前かもしれんけどな。

あの当時は東出(現打撃コーチ)緒方(現監督)野村(前監督)といった中心選手のユニやTシャツを着てる人は多かったけどな、末永(背番号51)天谷(当時背番号69)鞘師(当時背番号33)井生(64、現スコアラー)岡上(37)福地(44 現ヤクルトコーチ)木村一喜(27)廣瀬(26)とね、福地以外はだいたい入団1~5年目の高卒、大卒の若手のユニを着ている人が結構いたよな。これは他球団では見られない光景だった。

このメンバーの中には後に1軍で活躍した選手もいれば、他球団で花が咲いたり、残念ながら日の目を見ずにユニフォームを脱いだ選手もいる。末永あたりは前田2世と言われた時もあったけど故障の多い選手だった。木村一もキャッチャーだったけど打撃がよくてね、結構期待していたファンも多かった。

この辺ってのは宝塚歌劇団や大相撲ファンと同じでね、まだまだ粗削りだけども、若い時から目をつけてその選手の成長を楽しみながら応援していくスタイルだよな。アタクシは他球団のファンと一番違うところはここだと思うんだよ。その証として他球団のファンから「誰?その背番号?」と言われても胸を張って「末永じゃ!前田2世と言われとる、知らんのか!?」「廣瀬じゃ!オリンピック出とったの知らんのか?肩は超一流よ」「岡上じゃ!足はムチャクチャ早いんよ」なんて自分の子供を自慢するかのような顔で答える。カープファンの醍醐味だよな。

カープ女子という言葉は有名になったけど、あの当時からカープを応援する女性は結構いたと思う。巨人は別としてその次にカープは多かったと思うよ。で、そういうカープ女子が結構前出の若手選手のユニを着ていたんだよな。この辺てのは母性本能となんかつながりがあるかわからんけど、カープファンというのは勝利よりも選手の成長に目を細める、そういう人が多いんだろうねぇ。巨人ファンにはわからんだろうねぇ。

そういうファン感覚ってのは今でも脈々と受け継がれているなぁと感じたのは昨日、一昨日のバティスタのホームラン。あの時のスタンドの盛り上がり方ってのは単なるホームランを打っただけじゃない、何かがあったと思うんだよな。ベンチも盛り上がりもすごくて監督を筆頭にみんな笑顔で迎えていたよな。アタクシもお茶の間で一番盛り上がったのがあの場面だし、テレビの画面見て思わず「よかったな!頑張ってきた甲斐があったよな~」って感じなんだよな。たぶん、あのスタンドの盛り上がりもそういったメッセージがちりばめられた大歓声だった思うんだよな。

カープファンならご存知のようにね、バティスタはドミニカのカープアカデミーから練習生として来日。カープアカデミーってのは日本の球団で初めて海外に野球学校を作って、そこで鍛えた選手を日本でプレーさせようっちゅうことで作ったんだけどな、メジャーも同様な考えで学校作ったもんだから、日本のカープアカデミーに入る選手は少なかったと聞く。そら、メジャーとカープじゃ資金力は月とスッポンだもんな、そらいかんよ(笑)時にはピッチャーしかいなかったらしいし、どうやって野球やんのよ?って感じだったもんな。

右も左もわからん日本に来て、食事はだいぶ苦労したみてぇだけど、ファームで一生懸命練習して、野球を覚えてさ、ファームで成績残して選手登録されてってここまででも大変な努力があったと思うよ。そこにデビュー初打席が試合を決めるホームランをかっ飛ばす(古い?)んだから、そらカープファンは堪らんものがある。「育成のカープ」ならではお祭り騒ぎだったよな。

他球団のファンの会話なら「誰?あの95番?」「あんな選手いたっけ?」なんてぇ会話が聞こえてきそうだけどな、カープファンはみんなバティスタを知っていた。バティスタがどういう野球人生を歩んできて今打席に立っているか知っていた。監督、選手だけじゃなく、地元のカープファン、カープ女子、アタクシのような広島に縁もゆかりもないカープファンもみんな知っていた。そのデビューをみんなわが子のように見守っていた。そこで出た一発ね、うれしくないわけがない。ホームランで逆転ってだけじゃなく、あのバティスタが打ったからうれしくてうれしくて堪らない。そこがカープファンのツボなんだよな。

バティスタのユニの注文も結構入ってるんじゃねぇか?それにしてもまた期待の若手が出てきたよな。うれしい限りだよ。ただ、バティスタは守備に難があるのはいくら打ったところで変わるもんじゃねぇよな。交流戦中だからDHの芽があるから1軍に帯同できるけど、リーグ戦再開すれば、どうなるかわからんよな。助っ人枠の問題もあるし、打つだけの選手をおいとけないチーム事情もある。

バッティングだって研究されたら、とたんに打てなくなる時もある。そこをどう乗り越えていくかが一流選手になる大きな壁だからね、そこからまた練習して練習して大きく育ってほしいもんだよな。がんばれよ!バティスタ!

さぁて交流戦1週目は2カード連続勝ち越しで上場のスタートだよな。2位阪神も同じ星勘定でゲーム差は変わってねえけど、3位以下がだいぶ離れてきたよな。2週目は北海道東北と苦手なビジター6連戦。ジョンソンが戻ってくるけど、あまりいい材料のない遠征。なんとか5割で乗り越えてほしい。貯金が2,3できるようなら交流戦優勝も見えてくるかもしれん。個人的にはペナント制覇の早道は交流戦の優勝よ。なんとか頑張ってほしいよな。

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2017年記事
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Mageちゃんの鯉恋日記其の4~The road to strong CARP revival~

コメント

  1. 原田稔 より:

    申し訳ありません。Mageさんの名前間違って書いていました。今朝ブログを拝見して、
    恥ずかしさのあまり赤面状態でした。本当に申し訳ありません。お許しください。

    さて、今日から札幌で日ハム戦ですね。薮田には頑張って欲しいものです。
    ご存知かもしれませんが、カープは広島でチームとして使っているのが「つばめタクシー」という
    タクシー会社です。薮田のお母さんは、この会社でドライバーをされているそうです。

    数年前のある日、たまたま松田元オーナーを乗せた時に、「うちの息子、野球やってまして・・・
    一度見てもらえませんか・・」とお願いをしたそうです。まだ、彼が大学生の頃ですね。故障がちで、ほとんど試合でも投げてない頃です。
    それでもオーナーは「分かりました」とお母さんに応えて、スカウトに見てくるようにと、厳命したそうです。ローカルならではの、いい話しですよね。それで、カープの薮田が誕生したといいます。

    だから、お母さんのためにも街のためにも薮田には頑張って欲しいもんです。

    謝罪のメッセージなのに、長くなり申しわけありません。

    引き続きよろしくお願いします。

    • Mageちゃん より:

      原田さま、どうぞお気になさらずに。アタクシのブログも誤字脱字だらけですから(笑)

      昨日は薮田、なんとかゲームを作るピッチング、最低限の仕事はできました。これもいい経験です。白星がついてなによりです。

      本日から私は夏休みでカープのない環境に身をおきます。週末までブログはおやすみしますが、再開後またよろしくお願いします

  2. Mageちゃん より:

    原田稔さま
    いつもコメントありがとうございます。

    アタクシがカープファンになったのは2度目の「C」。そして帽子が赤になった年からでした。「H」はかろうじて覚えています。原田さん、大先輩じゃないですか!?(笑)

    当時はカープの帽子なんか売ってませんでした。母親が巨人ファンなんで巨人の帽子をアタクシに何度も勧められたのをを覚えています。カープの帽子がなかったんでヤクルトの帽子を被ってました。別にファンではありませんでしたけど、母親への必死の抵抗がそうさせたんだと思います。懐かしいですなぁ

    ”番組を聴き返してみると、4年前は野村采配と堂林の起用に文句を言い、3年前からは丸の
    体の開きに文句を言ってました。今考えると素人が本当に申し訳なかったと思います。”

    原田さん、アタクシも同じことを愚痴ってましたよ(笑)素人でも好きなチームに対しては評論家になっていいんですよ。それがプロ野球ファンだと思います。

    こんなブログでよろしければどうぞお使いくださいませ。「何言ってんだ?コイツ」と北別府さんにお叱りを受けそうですが・・・

    アタクシも黄金時代の手ごたえを感じています。このブログのテーマのように。
    昭和50年代の黄金時代は自分の記憶をたどるしかありません。もしまた黄金時代が来るなら、こうした形で残しておきたい。ブログを再開した一番の理由でした。またいずれ暗黒時代もくるかもしれません。その時にまた読み返しカープを叱咤激励できれば、そんな思いで毎日書いています。これからも宜しくお願いします。
    コメント、ありがとうございました。

  3. 原田稔 より:

    私たちの子供の頃は、カープの帽子のマークは「H」でした。その前は「C」だったみたいですから、現在の「C」になったのは、どうやら2回目のようです。色は薄いグリーン。あまり強そうではないですよね。でも、その帽子が欲しくて欲しくてたまらなかった小学生の私は、スポーツショップに行って、近い色の帽子と「H」のマークを買い(今思うと、既製品ではなく、ユニフォームにつける素材のものを、店員さんが帽子のサイズに合わせて切ってくれたのでしょう)、それを母親に縫い付けてもらって被ってました。(私の田舎の呉でも、普通に売っていたのは「YG」の帽子でした。)

    そんな遥か昔のことを、mogeさんのブログを読んで思い出してしまいました。

    1975年に初優勝。あれから40余年、今では立派に全国区の野球チームになったものです。
    東京生まれで東京育ちのmOgeさんに、あんなに素敵な文章を書いてもらえるようなチームに
    なったんですもの。本当に嬉しいです。

    先週も、そろそろまた広島で番組を始めようかと、上京してきた北別府さんと食事をしながら話しをしました。
    「でも、強いから文句言えないから、つまんないよね」と、私。
    「原田君は、それが売りだもんね」と、北別府さん。
    ・・・・・・・・

    番組を聴き返してみると、4年前は野村采配と堂林の起用に文句を言い、3年前からは丸の
    体の開きに文句を言ってました。今考えると素人が本当に申し訳なかったと思います。
    もちろん、昨年はほとんど文句を言わない放送でしたけどね。

    すいません。ダラダラと。でも、当ブログを読むと何かをメッセージしないではいられなくなります。

    夏ぐらいから番組も再開しそうです。その時は、当ブログとmogeさんのことも番組で紹介したいと考えています。よろしいでしょうか。

    これからは、岡田がエースになり、タナキクマルと誠也で黄金時代がくるのは間違いないでしょう。そこに、バティスタもいてくれると嬉しいですよね。

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