情報源: 小園獲得の苑田スカウト統括部長「100点。カープ向きの選手多かった」/デイリースポーツ online
毎年の事なんだけど、ドラフト会議ってのは朝から何となく落ち着かん。キャンプ初日や開幕戦、そして真っただ中にいるポストシーズンを迎える朝ともどこか違う。将来のカープを背負う選手たちが決まる。希望に満ちた朝。でも欲しい選手が取れんかったらどうしようとかね(笑)、指名したはいいが断られたらどうしようとかね、ちょっぴりの不安も少し入り混じってるけどな(笑)
2年連続で緒方監督が大仕事をした。去年の中村奨は中日との一騎打ちだったから、確率の面からいっても何となく当たりそうな予感はあった。ただ、小園くんの指名は当初3球団と言われていた中にDeNAが横やりを入れてきたときは正直💢ッときたけどな(笑)、4球団になって厳しさが増した中、よく引き当ててくれたよな。まぁ日本シリーズでもキレのある采配をよろしくお願いしたいですな。
我が家にはテレビが1台しかなくてね、毎年家族でドラフト会議→お母さんありがとうと流れていくんだけどな、今年から嫁が自宅でピアノ教室を始めてね、それをテレビのある部屋でレッスンしている。ドラフトの時間はレッスンの真っただ中。仕方なく2階で子供たちとネット中継で見守ることになった。
7歳の娘は丸と菊池の大ファン。選手の背番号と顔をだいぶ覚えるようになった。ドラフトの説明をすると一気にボルテージが上がってきてね、抽選の場面では親子で「こ~ぞ~の!こ~ぞ~の!」とエールを送る。緒方監督のガッツポーズを見たとたん「やった~!」大騒ぎ。まぁ下から苦情が来たのは言うまでもないが(笑)、娘も来年から小園を応援するといっていたよ。カープ女子育成は順調に進んでおりますです、ハイ。
それにしても去年といい、今年といい、上手く抽選を引き当てた。まぁ10年以上前には想像もできなかった。まだ旧市民球場の時代のドラフトなんてぇのは重複覚悟の指名なんて考えられなかったもんな。
逆指名や希望枠なる歪んだドラフトが行われたいた時代、カープは他球団との競合を避けて一本釣りを狙う傾向があった。紛れもない事実だよな。それは何故か?
一つは資金が乏しかった。いい選手は完全に売り手市場で契約金、年俸以外にも札束が飛び交っていた。のちに問題になった「裏金」問題だよな。大学、社会人の有力選手は名目以上にカネがかかったのよ。まだ活躍するかもわからん選手に対してマネーゲームが繰り広げられていたわけで残念ながらカープには縁のない話だったんだよな。
だからカープがいい選手だと思ってアプローチしても足元見られて断られるケースが多かった。結局この時代のドラフト1位ってのはなかなか活躍できなかったよな。思い浮かべると活躍したのは永川と山内くらいかねぇ?いずれも広島県出身でね、カープが指名したらカネとかそんなこと言わんで入ってくれる選手が中心だったよな。まぁそうなれば成績も伴わんわな。これが暗黒時代の原因でもあるわけよ。
高校生は抽選だった。でもカープは有力な高校生にも手を出せんかった。それは何故か?
仮に抽選で交渉権を獲得しても、球団の待遇や設備面、そして何よりも成績の低迷を理由に入団してくれない可能性が少なからずあったよな。だから手を出せない。広島さんだけはお断りという話も何度か耳に入ってきたのを覚えているよ。だからいい選手がなかなか入ってきてくれなかった。厳しい時代だったよな。
それでもアタクシはカープのファンとして腐ることはなかった。伝統の猛練習で選手を鍛え上げ、いつしかリーグ優勝する日を夢見ていた。あれはあれでいい時代だったし、楽しかったよ。
ドラフトのルールが改善され、いい選手が入ってくるようになった。夢の器・マツダスタジアムが完成し若手の寮も新築されて、練習設備も整って野球に没頭できる環境が整った。3連覇し球場はいつも満杯。グッズの売り上げも相当な金額。資金的にも余裕も出てきてね、カープに入りたいという選手も増えてきた。本当に時代は変わったよな。
そんなスカウト泣かせの時代から、靴をすり減らし、選手発掘のために全国を飛び回っていた苑田スカウト部長が「100点。カープ向きの選手多かった」とコメント。野手中心の指名になることはわかっていたし、その中でこの名伯楽から100点という言葉が出るってことはいいドラフトができたってこと。素直に喜びたいよな。
アタクシはアマチュア野球はほとんど見ないんで小園クンがどんな選手なのか?2位以下の選手もほとんど知らん。知らんから苑田さんの言葉を素直に受け入れられる。なんせカープのスカウティングが日本一よ。今後の成長を見守りながら少しでも長く黄金時代が続いて欲しいもんだよな。
では、これから小園クンの動画を探してそれを肴に一杯やるとするかねぇ(笑)。
明日は日本シリーズ前夜。アタクシなりの展望を書こうとするかねぇ。
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